1943年(昭和18年) 東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)工芸図案科卒業[1]。
1951年(昭和26年) 日展初入選。
1965年(昭和40年) 現代工芸美術家協会視察団として欧州、中近東視察。
1969年(昭和44年) 13代中里太郎右衛門襲名。
1992年(平成4年) 佐賀県重要無形文化財認定。
1995年(平成7年) 唐津市政功労賞受賞。
2002年 長男・忠寛に名跡を譲り、得度して逢庵と号する。
2007年 藝術院会員となる。
2008年(平成20年) 旭日中綬章を受ける。
2009年(平成21年) 3月12日慢性骨髄性白血病のため死去。享年85。