大西清右衛門(おおにし せいえもん)は、千家十職の釜師。
大西家は、室町時代後期から400年以上続く京釜師の家。
初代大西浄林が二人の弟(2代大西浄清、大西浄久)達と京へ上洛し、三条釜座の座人となったのが始まりとされている。
四代目当主が清右衛門をなのり、六代目以降九代目をのぞき、代々の当主は清右衛門という名を継いだ。現在は十六代清右衛門が当主。十五代の長男として京都に生まれ、大阪芸術大学美術学部彫金科卒業。
父が隠居の後、1993年に十六代清右衛門を襲名した。
1代 浄林 1590(天正18)年~1663(寛文3)年:(五郎左衛門)
2代 浄清 1594(文禄3)年~1682(天和2)年 :(五郎左衛門) 古田織部、小堀遠州らにつかえ、茶釜師としての大西家の基礎を確立した。
3代 浄玄 1630(寛永7)年~1684(貞享元)年:(仁兵衛)
4代 浄頓 1645(正保2)年~1700(元禄13)年:(清右衛門)
5代 浄入 1647(正保4)年~1716(正徳6)年 :(新兵衛)
6代 浄元 1689(元禄2)年~1762(宝暦12)年 :古浄元(清右衛門)表千家中興の祖七代如心斎天然につかえ、家元好みの釜を多数つくった。
7代 浄玄 1720(享保5)年~1783(天明3)年 :くろ玄(清右衛門)
8代 浄本 1747(延享4)年~1785(天明5)年 :(清右衛門)
9代 浄元 1749(寛延2)年~1811(文化8)年 :左兵衛浄元
10代 浄雪 1777(安永6)年~1852(嘉永5)年:(清右衛門)表千家十代家元吸江斎のころの人。家元より「弄鋳軒」の軒号を受ける。名物釜を調査し、記録に残した。
11代 浄寿 1808(文化5)年~1875(明治8)年:(清右衛門)
12代 浄典 1841(天保12)年~1869(明治2)年:(清右衛門)
13代 浄長 1866(慶応2)年~1943(昭和18)年:(清右衛門)
14代 浄中 1888(明治21)年~1960(昭和35)年:(清右衛門)
15代 浄心 1924(大正13)年~2002(平成14)年:(清右衛門)
16代 当代 清右衛門 1961(昭和36)年生
16代大西清右衛門は15代大西浄久の長男として京都に生まれ幼名を英生、名を正晃という。
1986(昭和61)年 大阪芸術大学美術学部彫塑科を卒業。
1993(平成5)年 16代大西清右衛門を襲名。
2003(平成15)年 京都市芸術新人賞を受賞。
2006(平成18)年 京都府文化賞奨励賞を受賞。
芦屋釜の金属組織、成分、技法解明の研究に着手し、秘法とされた挽中子技法の再現に成功する等の意欲的な活動を続けている。