谷本光生(たにもと こうせい)

谷本 光生(たにもと こうせい) 窯名:三田窯(みたよう)
大正5年10月5日伊賀市三田に生まれる。本名 光生(みつお)
洋画、書、俳句、彫塑、篆刻、曼荼羅などの趣味を背景に、戦後古伊賀、伊賀焼の復興に尽力し、谷本伊賀を確立。
日本初「抽象陶画」を製作、第一回朝日陶芸展入選。
第三回日展入選・一週間後取消。その後、団体公募展に疑問を感じ公募展に一切出品せず(招待展、グループ展、個展中心)。
各社陶芸書籍約100冊に掲載。NHK、民放などにも多くの放映実績。
三重県文化大賞、文部大臣表彰など受賞。
谷本伊賀の他には、日本初「抽象陶画」の制作、版画「シルクスクリーン」、コンピュータグラフィックスなどにも新境地を拓き、着目される。
作陶家の立場から古伊賀の前に「平楽寺伊賀の存在」を発表。自宅陶房には縄文・埴輪時代から

1916(大正 5)年  三重県上野市に生まれ
1934(昭和 9)年  この年から洋画を学び、洋画家を志す
1946(昭和21)年  大阪阪急百貨店において開催された「古伊賀名品展」を見て感動を受け、
伊賀焼の陶芸作家になることを決意して、工芸へ転向する
1948(昭和23)年  楽焼を始める。この頃、小森忍、日根野作三に師事する
1955(昭和30)年  上野市三田に登窯を築き古伊賀と本格的に取り組む
1958(昭和33)年  日展に出品するが、入選発表後取消しがあったとのことで、以後団体公募展に疑問を
感じて、一切の公募展と縁を切るこの頃より具象陶画から抽象陶画へと向かう
1960(昭和35)年  この頃より、東京、大阪、名古屋において抽象陶画展および東京でグループ展に
毎年出品する。この間に伊賀焼および抽象陶画の展覧会を繰り返し行うと共に、
長男景、次男洋と一緒に「谷本父子陶芸展」を開催する
1986(昭和61)年  近年、作陶の他に抽象版画も手がけ、東京銀座のサロン・ドゥ・ボナで、シルクスクリーン
による版画の個展を開く