富岡鉄斎(とみおか てっさい)

生涯

1837年(天保7年) – 1924年(大正13年)

京都(三条通新町東)法衣商十一屋伝兵衛富岡維叙の次男として生まれる。幼名は不明。猷輔を通称とし、のちに道昴・道節と称し、明治のはじめ頃、一時名を鉄斎としたが、しばらくのち百錬に改名。字を無倦、号を鉄斎。別号に鉄人、鉄史、鉄崖など。「最後の文人」と謳われた鉄斎は、学者(儒者)が本職であると自認し、絵画は余技であると考えていた。画風は博学な知識に裏打ちされ、主に中国古典を題材にしているが、文人画を基本に、大和絵、狩野派、琳派、大津絵など様々な絵画様式を加え、極めて創造的な独自性を持っている。作品は生涯で一万点以上といわれる。生涯を文人として貫き、その自由で奔放な画風は近代日本画に独自の地位を築き、日本のみならず世界からもいまなお高い評価を受けている。

評価額 6000万円

収蔵作品