平山郁夫(ひらやま いくお)

生涯

1930年(昭和5年)- 2009年(平成21年)

広島県瀬戸田町(現・尾道市)生まれ 。1945年(昭和20年) 15歳 、学徒勤労動員先の広島陸軍兵器支廠で原爆に被爆。1947年(昭和22年)年16歳 、東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。1952(昭和27)年、東京美術学校日本画科を卒業、東京芸術大学美術学部日本画科副手に就任。主任教授は前田青邨で、以来前田青邨に師事する。東京藝術大学で助手を務めていた1959年ごろ、原爆後遺症(白血球減少)で一時は死も覚悟したなか玄奘三蔵(三蔵法師)をテーマとする『仏教伝来』を描きあげ院展に入選。1960年代後半からたびたびシルクロードの遺跡や中国を訪ね、ヒマラヤ山脈からタクラマカン砂漠に至るまでシルクロードをくまなく旅してた。1973(昭和48)年 42歳 、東京芸術大学教授に就任。1988(昭和63)年 57歳、 東京芸術大学美術学部長に就任。1996年(平成8年)日本美術院理事長、1989年(平成元年)59歳、東京藝術大学学長を務めた。1991年 (平成3年)61歳、フランス政府から コマンドール勲章受章。1996年 (平成8年) レジオン・ド・ヌール勲章受章。1998年(平成10年)68歳、文化勲章を受章。 2001年(平成13年)71歳、東京藝術大学長に再任。2005年(平成17年)75歳、東京藝術大学長を退任。2009年(平成21年)死去。享年79歳。敦煌莫高窟の壁画修復事業にあたって日本画の岩絵具を用いた重ねの技法を指導するなど、現地で失われた美術技法の再構築と人材育成に尽力した。「文化財赤十字活動」の名のもとカンボジアのアンコール遺跡救済活動、敦煌の莫高窟の保存事業、南京城壁の修復事業、バーミヤンの大仏保護事業などの文化財保護や相互理解活動を評価されるなどその活動は幅広い。

評価額 7000万円

収蔵作品