野々村仁清(ののむら にんせい)

京焼色絵の祖と言われる野々村仁清は、丹波国桑田郡野々村(現・京都府南丹市美山町旧大野村)の生まれで、名前を清右衛門といい、
若い頃は丹波立杭窯や上記の京都粟田口などで陶芸の修業をし、その後瀬戸で轍櫨引きの技術に磨きをかけたのち京都に戻り、
正保4年(1647年)に前年再建された仁和寺の御用窯として、仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開きました。
その後、清右衛門は明暦2年(1656年)仁和寺門跡の性承法親王(後水尾院の第七皇子)から受領号「播磨大掾」と、「仁」及び「藤原姓」
を授けられ、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」を併せて「仁清」と号すようになりました。
また、自分の作品に「仁清」の印を捺すことでブランドを主張しました。
また、仁清は明暦3年(1657年)4月には出家しましたが、その後も40年近く焼物を焼き続けました。