伊東深水(いとう しんすい)

生涯

1898年(明治31年)- 1972年(昭和47年)

東京府東京市深川区深川西森下町(現在の東京都江東区森下一丁目)伊東半三郎の長男として生まれる。本名伊東一。娘は女優・タレント・歌手の朝丘雪路。1907年、小学校3年で中退、以後は看板屋に奉公し住み込みで働く。1908年、職工となり深川区深川東大工町(現在の江東区白河四丁目)の東京印刷株式会社の活字工になる。日本画家の中山秋湖に日本画を習う。1911年、14歳、鏑木清方へ入門し夜間学校で苦学しながらも精進する。「深水」の号を与えられる。1948年、『鏡』で第4回日本芸術院賞受賞。1949年、鎌倉に転居。1950年、白鳥映雪、児玉希望、奥田元宋、佐藤太清等と日月社を結成、後進の育成にあたる。1958年、日本芸術院会員に推挙。1972年、癌により死去。享年75歳。深水は、一般に美人画家と目されるが、はじめは社会の下層階級に注目した労働者、乞食、新聞配達などを対象として秀れた作品をのこした。また木版画での足跡も大きく、肖像画や、各時代を反映した風俗画も描いている。歴史的、古典的作柄も多く、その幅は広汎にわたる。制作の中心をなした深水風美人画は、豊かな色感と確かな線描によって明快に描かれ、近代的美人画様式を創出した。

評価額 3500万円

収蔵作品