加山又造(かやま またぞう)

生涯

1927年(昭和2年)- 2004年(平成16年)

京都府京都市上京区相国寺東門前町に加山勝也の子として生まれる。祖父は四条・円山派の絵師、父は京都・西陣の衣装図案師。1940年、京都市立美術工芸学校(現京都市立芸術大学)、1944年、東京美術学校(現東京芸術大学)入学。1949年、山本丘人に師事。上村松篁、秋野不矩、師の山本ら13名の画家たちによって結成された創造美術(後の創画会)にて活躍。1959 年、石本正、加山又造、横山操を会員とする「轟会」が発足する。1966年多摩美術大学教授、1988年東京芸術大学教授に就任。東京芸術大学名誉教授。1997年文化功労者に選ばれ、2003年文化勲章を受章。2004年、肺炎のため東京都の病院で死去。享年76歳。装飾性の高い作風は「現代の琳派」とも称された。また70年代末から本格的に取り組んだ水墨表現は身延山久遠寺大本堂天井画《墨龍》(1984年)などに結実している。その創作意欲と探求心は終生衰えることなく、最晩年にはペンタブレットを用いてコンピュータ・グラフィックスにも挑戦していた。

 

評価額 4000万円

収蔵作品