東山魁夷(ひがしやま かいい)

生涯

1908年(明治41年)- 1999年(平成11年)

船具商を営んでいた父・浩介と妻・くにの次男として横浜市海岸通りに生まれる。本名は新吉。父の仕事の関係で3歳の時に神戸西出町へ転居。兵庫県立第二神戸中学校(現兵庫高校)在学中から画家を志し、東京美術学校(現:東京芸術大学)日本画科へ進学。1931年、美術学校を卒業後、結城素明に師事。1933年、ドイツのベルリン大学(現フンボルト大学)に留学。1940年川崎小虎の女婿となり,1943年には小虎を中心に,山本丘人,橋本明治らと国土会を結成した。1960年に東宮御所(「日月四季図」)、1968年に落成した皇居宮殿の障壁画を担当した。1961年、吹上御所御用命画「万緑新」。1965年、日本芸術院会員。1968年、皇居新宮殿壁画「朝明けの潮」、文化財保護審議会専門委員。1969年、文化勲章受章。1970年、東京国立博物館評議員。1974年、日展理事長。1970年代には約10年の歳月をかけて制作した奈良・唐招提寺御影堂障壁画「黄山暁雲」は畢生の大作となった。1999年、老衰のため90歳で死去、従三位、勲一等瑞宝章。自然と真摯に向き合い、思索を重ねながらつくりあげられたその芸術世界は、日本人の自然観や心情までも反映した普遍性を有するものとして評価されている。

評価額 6000万円

収蔵作品