福王寺法林(ふくおうじ ほうりん)

生涯

1920年(大正9年)- 2012年(平成24年)

山形県米沢市に生まれる。本名は福王寺雄一。子に芸術院賞受賞者の福王寺一彦。福王寺家は、越後の下倉城々主であって、上杉謙信の時代に上杉家と養子縁組とな り、上杉家の会津より米沢への移封と共 に移った。
上杉藩の槍術師範の家系であった。銃の暴発により、6才の時に左目を失明する。1929年、狩野派の画家上村広成にに師事し日本画を学ぶ。1936年、16才にて画家を志して上京する。1941年、招集により、中国戦線に配属され、4年半に渡って転戦し、桂林において終戦。1951年、日本美術院同人 田中青坪に師事。1960年、日本美術院院友に推される。1983年、紺綬褒章受章。1994年、日本芸術院会員。1997年、勲三等瑞宝章受章。1998年、文化功労者顕彰受賞。2004年(平成16年)、文化勲章受章。2012年(平成24年)、心不全のため死去。享年91歳。叙従三位。風景を得意とし、重厚な中にも素朴な趣きのある作風で知られる。1974年、ネパール・ヒマラヤに取材旅行。その後、ヒマラヤの壮大な自然を取材したヒマラヤシリーズを発表し、大きな評価を得ている。

評価額 300万円

収蔵作品