川喜田半泥子(かわきた はんでいし)

1878年  大阪市東区で生まれる
1894年 三重県尋常中学校(現・三重県立津高等学校)で藤島武二に洋画を学ぶ
1900年 東京専門学校(現・早稲田大学商学部)に入学(翌年退学)
1903年 百五銀行に取締役として入行する
1909年 津市議会議員に当選(1913年に再選)
1910年 三重県議会議員に当選
1912年 津市南郊外にある千歳山を購入。千歳山の土が陶土であることを知り楽焼を試みる
1916年 三重農工銀行の頭取に就任。
1919年 百五銀行の頭取に就任(1945年まで在任)
1922年 三重合同電気会社(後に中部電力に合併)に社長として就任
1925年 明治生命監査役に就任。千歳山北部に両口倒焔式の石炭窯を築く
1933年 小山冨士夫設計の二袋煙突式薪窯を千歳山南端に築き、轆轤場も設ける
1934年 多治見、瀬戸の窯、また朝鮮半島や唐津の古窯址をを見学調査。
自らの設計で三袋の登窯を築き、初窯を成功する(翌年から「千歳窯」と呼ぶ)
1942年   荒川豊蔵、金重陶陽、三輪休和と「からひね会」を結成する
1945年 百五銀行頭取を辞任し、会長となる
1946年 千歳山の窯を長谷山に移し、「広永陶苑」を創設する
1950年 百五銀行相談役となる
1956年 藍綬褒章を授章。
1958年 「広永窯」に泥仏堂を建立
1963年 84歳で死去

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