仁阿弥 道八(にんなみ どうはち)

京都市の粟田口に窯を開いた陶工、初代高橋道八の次男として天明3年(1783年)に生まれ、跡を継ぎ二代高橋道八となる。
父の号を受け継いで松風亭を名乗り、独立して華中亭とも称し、この号は代々用いられることになる。
奥田頴川の弟子となり、同門の青木木米と共に当時の三大名工として名を残している。
仁阿弥の号は仁清ゆかりの仁和寺より「仁」の一字を、醍醐寺三宝院門跡から「阿弥」の称号を拝領して名乗るようになった。
その作風は色絵磁器から茶陶・彫塑など多岐に渡り、多才な才能がうかがえる。
天保13年(1842年)代を長男に譲り、伏見桃山に隠居して桃山窯を始め「法螺山人」と号して作陶生活を送り、安政2年(1855年)73歳の生涯を閉じる。