加藤幸兵衛(かとう こうべえ)

1893年(明治26年)12月27日 – 1982年(昭和57年)4月11日
本名は加藤福寿、岐阜県出身
幕末から明治時代の美濃の窯元の幸兵衛窯を1911年(明治44年)に引き継いで5代目幸兵衛を名乗る
加藤卓男の父
1950年から23年間岐阜県陶磁器試験場長に就任
美濃窯業界の指導者としての重鎮人物で、美濃窯業界の近代化をはかり美濃焼の発展につくした
作風は青磁、天目、李朝写、金襴手、染付、赤絵、色絵磁器など中国陶磁器再現や乾山写など
戦後に新設された日本伝統工芸展などに出品
1960年代から1970年代には自らの個展を中心に作品を発表
1973年(昭和48年)岐阜県の無形文化財保持者の認定
1982年(昭和57年)88歳で死去